『ハクメイとミコチ』は神作品(以下”HM”とする)
今日も今日とて日記を書く。
一人暮らしをしていると、「生きる」ということについて心底考えさせられる機会が多い。
昔にも書いたかもしれないが、炊事、洗濯、掃除がたまの暇つぶしや趣味ではなく生業として成り立たせなければいけないのが一人暮らしだ。
いわば、”一人暮らしの三大欲求”といった感じだろう。どれが欠けても充実とした、というか必要最低限の暮らしはできない。
だが、そんな日々の活動の中で感じるのは自分は生きているという感覚だ。
これは友達と一緒に居る時でも、家族団欒をしているときでも体験することはできない。
最近、HuluでHMを見ている。
HMとは、僅か3~4センチ足らずの小人の主人公たちが生を楽しむ事をテーマとした。作品だ。
彼女ら(主人公は二人いて、どちらとも女の子)は前述した身長でありながら、自身の何十倍も高くて大きい木や動物や植物が存在する森の中で暮らしている。
よって、充実した生活を送るためには”工夫”が必要不可欠なのだ。
例えば、我々にすれば数十センチの石っころが、彼女らにしてみたら数メートル級の大岩になりえるわけだがこれを利用するという話がある。
細かい説明は省くが、彼女らがこの大岩を利用するためには割る必要があったのだが、彼女らはスイカの種を利用する事によってこの大岩を砕く事に成功した。
これはまさに、工夫を体現したようなエピソードだが、普通ならスイカの種を利用して大岩を割るなんて発想は生まれないだろう。
このような発想なできる時点で彼女らは普段から工夫を凝らして暮らしている事が大いにわかる。また、彼女らは人生を有意義に暮らすため、要は「楽しむ」ために生きている、という事も理解できる。
私は「つまらないのが人生だ。だが、それを面白くすることも人生だ」といった事を考えて日々を暮らしている。
自分が危機的な状況に陥っても、普段から嫌な事があってもこれを考えていれば、「次はなにをするべきか」と切り替えて考えられる。
最近は、忙しすぎて頭から抜ける事も多かった。
友人関係や人に振り回されてばかりだ。
そして、人生がまたつまらなくなると思い、それで思考が停止してしまう事も多かった。
しかし、HMを見て思い出した。自分自身の人生。面白くするなら、工夫をしなければならない。有意義に過ごすならそれなりに自分で考えないといけない。
美味しい料理を毎日食べたい、と思えば毎日美味しい料理を作る練習をすればいいし
歌が上手くなりたいと思うなら、毎日上手くなるように歌い方や発声方法を自分なりに工夫すればいい話だ。
ここ何年かでいわゆるハウツー本といった人生の見本的な本が増えた。
はっきり言おう。あれは、人間としての生き方としては参考にできるが、”自分”の参考にはならない。
自分がどんな風になりたいか、という事はハウツー本を見たところでわからない。
その通りにしたところで最初は長続きしても結局うまくいかない時が多い。
ああいった本は資料程度に読むことで自分の中で合うように方法を工夫する必要性が非常に大きい。
といった所で長くなったが、いつも言っている。
自分の人生なら、自分で変えてみせろ。